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黒ヒゲ危機一髪というゲームがある。
パーティーゲームの雄として ビンゴや人生ゲームなどと並び賞させるほど著名なゲームであり 多くの方々がご存知だろう。 簡単に説明するなら 頭にバンダナを巻き、片目に眼帯 そして口の周りには見事な武将ヒゲ。もとい、不精ヒゲという 絵に描いたようにあやしいオヤジが 樽の中にすっぽりおさまっており プレーヤー達がよってたかってその樽に剣をつきたてていくと なぜか、オヤジが飛び出す。 そして、飛び出させた人が負けという 勝ち負けの判定がイマイチ理不尽ながらも 根強い人気を誇るパーティーゲームだ。 ヒゲオヤジが飛び出すというだけのリアクションに いい大人達が一喜一憂して盛り上がる、ぢつに不思議なゲームだ。
黒ヒゲ、危機一髪。
どう危機一髪なのかが、今一つはっきりしない。 バンダナ、眼帯、口の周りの不精ヒゲとくれば このオヤジの職業はおのずと見当がつく。 海賊か、あるいは山賊か さもなければ 徹夜続きで不精ヒゲのうえ、モノモライまで患った バンダナメーカーのエリートサラリーマンといったところだろう。
ではなぜ そのようなオヤジが樽の中に封じ込められているのだろうか?
おそらく、それは 彼の非合法な悪行ゆえに、村の衆に捕らえられ 無念、公開処刑されることになったのであろう。 アジトを突き止められたのか 強盗の最中にへまを打ったのか バンダナの偽ブランドが発覚したのか いずれにせよ、彼はその罪を贖罪すべく 後ろ手に縛り上げられ、樽の中に放り込まれ ついに、刑を待つ身となったわけだ。
黒ヒゲ、危機一髪
こら。 おまいの人生はすでに終わっとるがな。
捕まって縛り上げられて樽に入れられた時点で すでに危機一髪どころの騒ぎではないのだ。 そして、樽の中で身動きできない黒ヒゲに対して 村の衆達の過酷で凄惨な断罪が 今、まさに、始まろうとしているのだ。
そう。 黒ヒゲ危機一髪とは、『断罪』をメインテーマとした 正義を行うゲームなのだ。 それは、人が人を裁くという いや、むしろ群衆心理が人を裁くという 人類の歴史上必然的に発生した 最もグロテスクな“正義”の姿なのだ。
と言うと、きもち大げさかもしれないが 大げさに言ったほうが、それっぽく聞こえてよい。 うっかり信じ込む人がいるかもしれない。
黒ヒゲに象徴された“悪”。 それが、たとえ縛り上げられ、無抵抗な状況であろうとも ただ、“悪”であるがゆえに 群衆による一方的な報復攻撃が、正当化される。 それは、決して“殺戮”とは呼ばれず “正義”の名を欲しいままにするのだ。 それが、群衆正義というものなのだ。
そして人は、村の衆になりきって、“悪”を断罪する。 正義の剣を、その穢れた身に突きたてるのだ。 「邪悪なる黒ヒゲよ、我らが正義の剣をくらえ!」
と、そこで一つ、疑問なのだが なぜ、樽なのか?
それには、諸説ある。 もちろん、ただの断罪であるなら 生身の黒ヒゲに直接剣を突きたてれば、間違いがない。 しかし、人は、樽越しに黒ひげを討つ。 そこには 「樽に封じこめて断罪すれことにより、樽がその罪を浄化する」 といったような宗教的な意味合いが 込められているのかもしれない。
タルタル教
おもに南方諸部族の間で、結構広まっている。 タルタルソースとかも、関係あるかも知れない。 かっタルい、大腸カタル、サンダル、ダルメシアンなどにも 何がしかの影響があったのだろう。
いずれにせよ 人は、樽越しに、黒ヒゲを討つ。 しかも、一斉には突かない。 一人一人、順番に、黒ヒゲの苦悶を楽しむかのように 樽に、剣を突き立てる。 そして、幾人目かの剣が樽に突き立った、その時
ぴょ〜ん♪
こら。 飛び出しちゃダメだろ。黒ヒゲ。 どうしてそこで飛び出すかな。
だいたい、すでに何本も刺さってるはずだ。 そのまま上に飛び出すと、ざっくりと切れてしまい 傷口を広げるようなものだ。 いや。その前に。 そもそも飛び出す余力が残っているのがおかしい。 仮に、樽の中で身をよじりつつ 全ての剣を紙一重でかわしていたとしよう。 たとえそうだとしても なぜ、いまさら飛び出すのだ。 なぜ、1本目をかわしたときに飛び出しておかなかったのだ。
と、この点に到達したとき 私は、はじめて 黒ヒゲの思惑を理解した。
おそらく黒ヒゲは、そもそも確信犯的に捕まったのだ。 彼は、樽の中であらゆる剣をかわすだけの 絶対的な自信があったうえで わざと、樽の中に捕えられたのだ。 そして、案のじょう、村の衆は樽越しに剣を突き立て 断罪を開始する。 そして、ころあいを見計らって 黒ヒゲは“まさに危機一髪をよそおって”飛び出すのだ。
びょ〜ん♪
びっくりした村の衆達を尻目に 黒ヒゲは危機一髪の窮地を脱出する。 するとすかさず、村の衆達は 最後に剣を突きたてた者を罵る。
「お前が、黒ヒゲを逃がしたのだぁ!!」
実際は、誰も黒ヒゲを仕留めた者はいないのだが 黒ヒゲを逃がした者に責任をなすりつけることで なんとなく黒ヒゲの断罪をうやむやのうちに終わらせる。
黒ヒゲ危機一髪とは、実は、そういうゲームなのだ。
本当に悪いものは決して断罪されず むしろ無辜の一般市民に責任をなすりつけることで なんとなく、“正義”が決着する。 黒ヒゲ危機一髪が 庶民のパーティーゲームとしてもてはやされる理由は まさに、ここにあるのだ。
というわけで 本日は、「黒ヒゲ危機一髪」という他愛ないゲームの中にも 微妙に感じ悪い世間の縮図を垣間見るという とってもオトナの雰囲気いっぱいの犬司くんでした。 ワンワン♪ (無意味にかわいくてすみません。)
…… といったところで、お開きにしたいと思います。 ちなみに、私は黒ひげ危機一髪、結構好きです。 かなり燃えます。 久しぶりにやりたくなってきました。
そこで! 関東近県在住者限定の「黒ヒゲ・オフ」開催予定。(未定)
我こそ断罪者という自信のある方 ふるってご参加ください。
マイ剣、持参可。 ただし、黒ヒゲへの必要以上の虐待は固く禁止します。 あくまで、フェアプレーで。 レッツ、断罪♪笑
ではでは、また。
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さてさて。 2003年も、あっという間に半月以上が過ぎ去りました。 いよいよ私の28歳ライフも終盤に近づき この5月末日には、残念なことに29歳になる気配が濃厚です。 私がいったい、何をしたというのでしょうか? 私ほど人畜無害で善良な人間が 29年間生きていたというただそれだけ理由で なにゆえに29歳にならなければならないのでしょうか?
今年の正月。 私のもとに届いた数少ない年賀状のほとんどが 「結婚しました」報告年賀状でした。 正月そうそう、微妙に感じの悪いプレッシャーを受けています。 しかも、そのハガキの写真が そろいもそろってウエディングケーキ入刀です。 感じ悪い上に、芸の幅まで狭いといきています。 もう、許せません。 あるいはイジメ、もしくはセクハラだと思います。 「藤島よ、今度はお前の番だぞ!」 って、写真の中の笑顔が むしろ半笑いで訴えかけてくるのです。 何が私の番なのかは良くわかりませんが 「今度こそ、お前に入刀してやるぞ!」 ということかもしれません。 ものすごく脅迫、むしろ犯行予告だと思います。 (注:はてしなく勘違いです。)
さてさて。 いずれにせよ、私には時間がありません。 本格的に30代目前であるにもかかわらず 着実に売れ残りつつあります。雲行きがあやしいです。 29歳になる今年…
あるいは勝負の年かもしれません!!
いや、すでに手遅れという説が濃厚ですが あえて気がつかなかったことにしましょう。 とにかく、この一年に、勝負がかかっているわけです。 そこで、この犬司。 我が麗しのハタチフルデイズ(20代?)に有終の美を飾るべく 最も鮮やかに、かつ華麗に勝ちに行くための偉大なる戦略を さっそく、たった今、立案いたしました。 2分です。 でも、読むと10分くらいかかるから不思議なのですが 本日はお手軽なダイジェスト版にて、ご紹介いたしましょう。 ズバリ、2003年・犬司の基本戦略は……
『棚からぼたもち』
以上です。 10分もかかりませんでした。 とにかく2003年はこれで行きます。 思えば28年間ずっとこれできたような気もします。
まぁ、あれです。 己の実力とか器量とか甲斐性とか女運とかは はなっからアテにしない方向でいくわけです。 信頼できないものは、たとえ自分であっても信用しない。 不確かなものは全て排除して、心を鬼にして勝ちに行く。 さすがは犬司さん。堅実ですね。 だてに28年も生きてはいませんよ。はっはっはっ…。 …… …
さてと。それはそうと 『棚からぼたもち』のほうが 犬司よりもずっとアテにならないじゃないか と言う方がいるかも知れませんが、それは間違い。 私をかいかぶりすぎです。 じゃなくて、『棚からぼたもち』を甘く見過ぎです。 いや、ぼたもちは甘いです。甘くておいしい。 しかし、そういうことじゃなくて 皆さんは『棚からぼたもち』の正しい運用方法を知らな過ぎるのです。 いいですか?みなさん。 『棚からぼたもち』は正しく運用すれば 着実に実績を残すものなのです。
そこで、今日は皆さんに ただしい『棚からぼたもち』をレクチャーして お開きといたしましょう。 まず、一番最初に大事なことは
『棚にぼたもちを置かないこと』です。
棚に置いてあったぼたもちがひとりでに落ちてきたら それは単なる怪奇現象。 あるいは棚のたてつけが悪かったか、どちらかです。 いずれにせよありがたみはありません。 本来あるはずの無いぼたもちが落ちてくるからこそ 意味があるのです。 そのほうがよっぽど怪奇現象だろ、という説もありますが そう言う細かいことは、くれぐれも気にしないで下さい。 『棚ぼた』とは、そういうものなんです。 『ハリポタ』だって、似たようなものなんです。
次に注意すべき点は 『棚の位置は、できる限り低くすること』です。
およそニュートン博士が万有引力の法則を発見して以来 全てのぼたもちは地球に向かって落下する宿命にあります。 思えば、ニュートン以前でもそうでした。(生まれてないけど) そこで、棚の位置が高い場合 棚の高さに比例してぼたもちの落下速度が上昇し 地球に衝突したときの衝撃も大きくなります。 棚の高さをh、重力加速度をgとして計算した場合… ……うんと……えぇと…… あれです。 もう、ぼたもちはぐちゃぐちゃです。(アバウトで結構です。) そこで、棚の高さは極力低くしたほうがいいです。
そして、さらに注意すべきことは 『棚の前の床は、できる限りきれいにしておくこと』です。
せっかく落ちてきたぼたもちも 汚い床に落ちてしまっては台無しです。 かと言って、棚の前の床に あらかじめ皿を敷き詰めておくというのは 棚の本来の利用方法を著しく間違っております。 皿は、やはり棚にしまいましょう。それが棚というものです。 そこで、棚から落ちたぼたもちは そのまま床に落ちるに任せるとして… ここで、いわゆる『3秒ルール』が注目されます。 「たとえ床に落ちた食べ物でも、3秒以内なら食べてよし!」 というこのルールは もはやグローバル・スタンダードと言っても過言ではないほど 定着しつつあります。 しかし、いつ落ちるとも分からないぼたもちを相手に 3秒以内に拾うのは、やはり結構難しい。 そこで「床が清潔であれば5秒までよし!」という 追加ルールを持ちこむ必要があります。 さらに「たとえ7秒でも、ふぅって吹けばよし!」とか 「落ちた面を残せば20秒オーバーでも平気!」とか 独自のルールを食品衛生法に違反しない範囲で導入してください。 いずれにせよ 全ては清潔な床から始まります。
というわけで、なんとしても今年中に 『棚からぼたもちで嫁さんをゲットしよう!』 というコンセプトで始まったはずなのですが いつのまにか 『棚から落ちたぼたもちをおいしくいただく方法』 に、すりかわっていたのが驚きです。 どこで間違えたのでしょうか?
このままいくと 床に落ちたぼたもちを「5秒までセーフ」とか言いながら もぐもぐ頬張る30代ができあがりそうですが まぁ、あれです。 それも、人生です。
必要以上に後味の悪い結論でお茶をにごしつつ 今日もぼちぼち撤収です。
それでは皆様、さやうなら。
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『能ある鷹は爪を隠す』
真に才能のあるものとは その能力をむやみにひけらかすものではなく じっとひた隠しにすべきものである。
……… と、一般的にはこのように言われております。 まぁ、あれですよ。 才能に恵まれなかった庶民が考えそうな言葉ですね。 ただ、そのような恵まれない庶民の言葉にも じっと耳をかたむけ、あるいは手を差し伸べることで 常に高い好感度を維持してきた、この私ですから とうぜんのごとく庶民の言いなりです。(注:ヒクツです。) 才能はひた隠しにして生きてきました。 恥ずかしいくらいに隠しています。 ちょっと内股で。(注:勘違いです。)
あぁ、それでもなお、あふれ出てくるこの才能。 (注:内股ぎみで隠したそばからあふれだしてくる才能も ぢっさいどうかと思います。)
まぁ、そう言った意味で 隠しきれずにあふれ出た才能によって運営されている 『まだ終わらんよ』。 司会の犬司ですこんばんわ。 持てる文才を余すところなく発揮すれば 「直木賞」「芥川賞」も夢ではない! と、ご近所で評判されている夢を、つい先日みました。 私の才能は夢の中ではいかんなく発揮されているようです。 しかも、その夢の中ですら 持てる才能をひた隠しにしている自分の奥ゆかしさに すごく好感を持ちました。夢の中で。 そして、夢の中で隠しきれずにあふれ出た才能が この現実世界において 『まだ終わらんよ』に結実しているという図式です。
ちなみに 「隠しきれずにあふれ出た才能」 の部分は 「隠しおおせずにはみ出してしまった才能」 「本来隠すべきところはみ出しっぱなしの才能」 などに読み替えても意味は同じです。 皆様のお好きなように読んで下さい。 むしろ私がこだわりたいのは はみ出した部分の才能ではなく 隠しておいたほうの才能です。
一体どこに隠しちゃったんだろう……
ここ数年、ついぞ見たことがありません。 おかしいなぁ。持ってたはずなんだけどなぁ。才能。 どこに隠しちゃったのかなぁ。才能。 あまり必死に隠したものだから 本人にも見つけられなくなってしまいました。
ほら、ちょうどあれですよ。 秋になるとリスとかが木の実を土の中に隠すでしょ。 真冬に食べようと思って。 ところが冬になると雪が積もるから どこに隠しておいたか分からなくなるんですよ。 「うんと、ここかな?こっちかな?」 一生懸命さがしても、結局みつからない。 で、春になるとあちこちから木の芽がふきだしてきて 「なんだか分からないけど ボク、ちゃんと役に立ってたみたい♪」 とか言いながら無邪気にニコッって微笑むんですよ。 あぁ、もうむちゃくちゃカワイイ♪
…… っていうのとはちょっと関係ありませんが 要するに隠した才能が見つからないんです。 『探し物は探せば探すほど見つからなくなる』 と言う法則を、例のマーフィーさんが発見して以来 探し物は本当に見つかりにくくなりました。 ぢつにやっかいです。マーフィーめ。 『マーフィーさえいなければうまく行くという時に限って マーフィーの法則が存在する』 と言う法則を、マーフィーの法則に追加するべきだと思います。
さてさてさて。 いい加減話しがそれましたが 私の失われし才能の話しは、ちょいと脇に置くとして 今日は鷹の隠すべき才能についてお話しましょう。
『能ある鷹は爪を隠す』
ズバリ、これは間違いです。 明らかに間違いです。 以下、順を追って説明しましょう。
まず 『天高く舞う鷹の爪の有無を 地上から視認できる小動物はまれである。』 鷹がいくら頑張って爪を隠してみたところで それに気がつく小動物は、ごくまれです。 爪を隠すのは、ほぼ間違いなく、鷹のひとりよがりに終わります。
仮に、小動物の視力が思いのほか優れているとしても 『爪のない鷹をみて油断するような小動物は いうまでもなく能無しである。』 爪があろうが無かろうが、鷹を見たら逃げる。 弱肉強食の世界に生きる小動物にとって 常識うんぬんのはるか以前の問題です。 爪の無い鷹を見て油断する小動物がいたら 生きる資格すらありません。 そういう能無しの小動物であれば 能の無い鷹が爪を剥き出しにしていても きっと捕まえることができましょう。 なにも能ある鷹が爪を隠してのぞむ必要はありません。
というわけで 能ある鷹がわざわざ爪を隠すのは 単なる一人よがりか、ものすごい勘違いかのどちらかです。 とても能あるもののすることではありません。 たとえば『百獣の王』と呼ばれるライオンなどは ウサギ一匹にも全力をもって望むといわれています。
それもそのはず。 WWF(世界自然保護基金)が把握しているだけでも 世界には1000種類をはるかに越える動物達がいますから たかだか百獣の王では 1000種類の動物の上に君臨することはできないのです。 (そういう意味ではないかもしれません。) 例えば… ヒグマには太刀打ちできるのか? ゾウに有効な攻撃手段はあるのか? シロナガスクジラとはそもそもどう戦うのか? 野生動物の頂点を目指すなら 百獣の王といえども、決して慢心できないのです。 それはたとえば 『埼玉県大会で優勝しても 全国大会1回戦に挑む気持ちを忘れない』 ということだと思います。 (違うかもしれません。)
あぁ、百獣の王ライオンよ。 常に全国大会を視野に入れた君の姿は美しい。 それに引き換え、鷹よ。 お前は、爪を隠して埼玉県どまりか? それでいいのか?満足なのか? あぁ、鷹よ。 お前の爪は隠すためにあるのではない!
『能ある鷹よ、むしろ爪を磨くがいい!』
しかし、どうしても。 どうしても隠したいと言うのなら お前は爪を隠している場合ぢゃない。
『能ある鷹よ、むしろ鷹であることを隠せ。』
あたりまえのことです。 鷹がまず最初に隠すべきは、鷹であることそのものです。 全身鷹丸出しで空飛んでるのに 爪だけ隠しても無意味です。 むしろやる気があるのかと言いたい。 頭隠して尻隠さずもいいところです。 鷹が小動物の油断をさそいたいのなら なにはさておき 鷹であることそのものを隠すべきでしょう。
例えば 頭には真っ赤なトサカ。 そしてコケコッコと高らかに歌いながら 首を前後させつつ地べたを歩く。
たったこれだけのことで ほとんど全ての小動物から同情してもらえます。 「あぁ、バカだ。ものすごくバカな鷹だ。」 結局、鷹であることはバレバレですが 「正常な鷹」であることは、見事、隠しおおせます。 こうして相手が油断してくれたら あとはもう勝ったも同然です。
『能ある鷹は、鷹であることを隠す』
私も、失った才能をちまちまと探し回ることをやめ むしろ人であることを隠して 雄々しく生きていこうと思います。
結論が微妙に間違った方向へ迷走してゆくのは いつもどおりの傾向です。 気にするほどのことでもありません。
ぼちぼち、撤収模様です。 ではでは、また。 さやうなら。
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♪もぉ〜 いくつ寝ると〜 お正月〜
というわけで 早くも2004年のお正月に向けてカウントダウンを開始した 常に時代の最先端をゆくおとこ、犬司です。こんばんわ。
2003年のお正月は終わりました。 えぇ、もう終わりです。営業終了です。 いつまでも正月に未練を残してはいけません。
えっ?七草粥はどうしたって? おやおや いまどき草なんか食ってるんですか?しかも粥? もっといいもの食べてくださいよ。 バッタじゃあるまいし。
えっ?鏡開き? 開けばいいでしょ。さっさと。 ウチなんか元旦の朝っぱらから パタンパタン開いたり閉じたり自由自在ですよ。 鏡くらい。
えっ?成人式? 何をいまさら。 とっくの昔から、タバコは吸うは酒は飲むは ○○○を×××に△△△するは… ありとあらゆる魅惑のオトナ行為を やりたい放題やってたくせに… 何をいまさら成人ですか! てっとりばやく言うなら 毛が生え始めたら、オトナ。 毛が抜け始めたら、オヤジ。 これだけで十分です。
ちょいと話しが脱線模様ですが ようするにお正月は終わりました。 今年のお正月は意外と早かったですね。 お正月のだいたいの流れを解説するなら…
まずは元旦の朝。 「あけましておめでとうございます!」 とか言いながら日本酒をヒヤでクイッっとやったところで めでたく、お正月が始まります。 次がおせち料理。 おせちとくれば熱燗です。クイッといきましょう。 おせち料理自体はたいして好きでもないくせに クイッ、クイッ、クイッと立て続けにいきます。 そして年賀状。 枚数を数えてちょっぴりナーバスになります。 初ナーバス。縁起物です。(ホンとか?) そこでまたクイッっといきます。 「最近、こっちからちっとも出してなかったからね。」 なんて自分に言い聞かせながら、ここでまたクイッ。 ちょっとホロリときて、その後チビチビと続きます。 あとは成り行きで結構ですが 初詣とか行くくらいなら、やはり暖かな我が家で クイッと過ごしたいものですね。 親戚とか呼びつけておくと ちょっと高級なお酒とか持ってくる可能性が高く 使えます。 親戚が久しぶりに役に立つ瞬間です。 今年は元旦そうそう兄夫婦がやってきまして もちろん酒持参でした。使えました。 生まれてはじめて兄が役に立つところを垣間見たようでうす。
そして1月2日。 午前8時、いよいよ箱根駅伝のスタートです。 ということは7時くらいには すでにウォーミングアップ開始ですね。 おせち用とは別に 駅伝用のお酒を用意しておくのは基本です。 お酒、つまみ、床暖房、みかん、そして駅伝。 つくづく、基本です。 クイクイクイッと、軽やかにいきましょう。
華の二区、心臓破りと呼ばれる権太坂ののぼりでは 選手と共に歯を食いしばりながら、クイクイッ。 ぢつはするめイカを噛み締めつつ、クイクイッ。
勝負どころの第4区 山梨学院デビッド・カリウキ、脅威の力走に、クイクイッ。 ケニヤ人風情には“負けにーや”くらいベタに、クイクイッ。 家族の冷たい視線を跳ね返す勢いで、クイクイッ。
そして最終第5区。 我が母校、まさかの大ブレーキがでて順位暴落。 やけ酒。 グビグビグビグビグビィィィ………ップハァァァ 「てやんでぇちきしょぉ〜、やってられっか!」 とか言いながら ほっとけばいつまでもやってそうな勢いでクイクイッ。 とまぁ、こんな感じで1月2日終了です。
あけて1月3日も、やはり箱根駅伝。 第6区スタート直後から 我が母校、脅威の快進撃始まります。 もう、画面から目が離せない! ので、しかたなく目の高さに徳利を持っていて、つぎます。 トクトクトク…おっとっとっと……クイクイッ。 なんと中央大学、順天堂大学に並んだ! トクトクトク…おっとっとっと……クイクイッ。 ぐんぐん抜き差って現在9位に浮上! トクトクトク…おっとっとっと……クイクイッ。 ……… 飲みづらい。しかもテレビ見づらい。
こうして箱根駅伝に集中しつつのみ続けると コマーシャルの時に、家のトイレが混みます。 これはサッカーの試合を見に行った時の ハーフタイムの女子トイレと同じです。 ちょっとしたスポーツ観戦気分を満喫できますね。 できれば家族全員でトイレの前に行列を作りたい気分ですが ちょっとやり過ぎの感がいなめません。 列に並ぶ人数を数えながら素知らぬ顔で足をモジモジ交差させるのも そこはかとなく風情が感じられて良いのですが さすがに、それを家族でやるのはどうでしょう。 いくら正月だからって、ダメなものはダメです。 この辺のケジメだけは、きちっとつけておきたい。
『一年の計は、元旦にあり。』
ということではありません。 関係なさそうです。 むしろ常識とか、マナーとか そう言った感じのものだと思います。
さてさて。 そんなこんなで駅伝も終盤を迎え 復路の土壇場、第九区 駒沢大学が山梨学院を抜き返して30秒差をつけたあたりで 今年のお正月は終わりました。 ここでおしまい。 10区も残っていますし、まだまだ面白いのですが お正月は、厳密にはここまでです。 あとはフォロースルーのようなもの。 いわば、余韻というやつですね。 最後のゴールに感動して涙する。クイクイッ。 熾烈なシード権争いが最後までもつれる。クイクイッ。 いい加減飲み過ぎで家族の舌ももつれる。クイクイッ。 このままいくと人生そのものがもつれそう。クイクイッ。 でも、母校が無事ゴールできて一安心。クイクイッ。 なぜか我が人生も一安心。クイクイクイッ。(←軽やか) ……… こうして余韻を楽しみつつ 今年のお正月は、幕を閉じたわけです。
さてさて。 こうしてあらためて振りかえってみますと 比較的お酒を飲む機会が多かったかもしれませんね。 あるいはむしろ、飲んでいたと評価しうるかもしれません。 あながち飲んでいなかったとも言いがたい といったところでしょうか? お正月そうそう、控えめな表現で恐縮です。
と言ったわけで、大好きな正月も終わってしまえば もう、あれですよ。 あとは、ほら チョコを食ったり食わなかったり 桜が散ったり散らなかったり 砂に書いたラブレターが消えたり消えなかったり 小さい秋を見つけたり見つけなかったり サンタさんが来たり来なかったり むしろ恋人がサンタクロースだったり 正直言うとサンタクロースに恋人をお願いする方が重要だったり でもそんな願い、かなうはずがなかったり 要するにまた一人ぼっちだったり …… そうこうしているうちに あっというまに来年のお正月ですよ。早い早い。
♪もぉ〜 いくつ寝ると〜 お正月〜
さぁ、みんなも 時代の波に乗り遅れることがないように お正月カウントダウンをはじめましょう!!
相変わらず無意味に元気な犬司でした。 打たれ強いとかいうな!
ではでは、また。 さやうなら 撤収。
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明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。
旧年中は、皆様のひとかたならぬご愛顧をいただき 誠にありがとうございました。 とくに年の瀬も押し迫って12月の30日に書いたコラムにも ちゃんとコメントを返していただきまして 本当にありがたく思っております。 それもあろうことか 31日の午前2時とか3時とかいう時間にコメントをいただいた masakoさんですとかMIEKOさんですとか いつもいつも本当にありがとうございます。
えぇと…いろいろな意味で大丈夫ですか?
ちょいとばかり気になったものでね。 私には言われたくないでしょうがね。 おそらく、ちゃんとした新年を迎えられたことと思います。 おめでとうございます。
あっ、コメントを書かなかったからといって 31日の同じような時間にここを読みに来てた人! いるのは分かっているんですよ。10人かそこいら。 他人事のように笑ってばかりいてはいけません。 大丈夫ですか?ちゃんと迎えましたか? むしろ2002年をちゃんと閉じてきましたか? 除夜の鐘をどつけば閉じるほど 旧年はあまくありませんよ。(おいおい)
というより、除夜の鐘って 年が明けてからもついてますよね。 お客さんが長蛇の列つくるもんだから。 でも、あれって、ダラダラしていてい感じ悪いと思うんですよ。 なんていうか12月31日の23時59分59秒くらいに ちょうど108つめの鐘をゴ〜ンと鳴らして 「はい、本年の営業は全て終了致しました」 って感じでスパッとおわらせて欲しい。 終了10分前くらいから『蛍の光』とか流すのもよい。 とにかく、こう、「1年が終わって、さぁ、これからが新年です!」 っていう勢いというか切り替えの早さがほしい。 だから坊さん達も108回目をつき終わったら サクッと手のひらを返したように 「はい、終了。そいじゃ、オールでカラオケ、そのまま初詣ね。」 くらいの勢いを見せて欲しいですね。袈裟脱ぎ捨てながら。 そして、いまだ鐘つき台に並ぶ長蛇の列に塩でも投げつけながら 「もう、俺達の時代は終わったんだよ!帰ってくれ!」 とか言うのもカッコイイと思います。 ナイスハゲ。カッコイイぞハゲ。素敵ハゲ。
一方神社のほうはというと 新年が明けた瞬間、待ってましたとばかりに 全館一斉ライトアップとかで華麗に幕開けしてほしいですね。 各神社に一人づつ 海老一兄弟の生き残ってる方を配置するくらいの構えはほしい。 いかにも新年が明けた感じがします。 賽銭箱にもじゃんじゃんお金が飛びこみます。 せっかくのかきいれどきなんだから 神社も必死になって賽銭を煽らなくてはなりません。 例えば賽銭箱の脇に神主さん巫女さん勢ぞろいで 「現金満タン!現金満タン!」 とか叫ぶと、じゃんじゃん現金が飛んできます。 「キャップロックOK」とかいわれるまで注ぎ込むはずです。 その間に窓拭いたり吸殻とか捨てたりすれば 大掃除の代わりにもなって一石二鳥です。 でも、お客さんもただ黙って言いなりになっていてはいけません。 「洗車はいかがですか?」 「ご一緒に水抜き剤はいかがですか?」 「オイル交換のほうはいかが致しますか?」 などと立て続けに聞かれた場合は 店員のおねぇちゃんがカワイイかどうかを慎重に見極めた上で 断るべきときはビシッと断りましょう! 「洗車は結構です!ところで仕事終わったらヒマですか?」 くらいビシッっとね。ビシッっと。硬派に。
というわけで 新年の幕開けにふさわしく硬派に語ってみました 相変わらずの犬司ですけが、こんにちわ。(いまさらです。) あれですよ。すっごく硬派です。朝とか。(おい。)
それはそうと ろくに仏教や神道を信仰してもいないくせに ちゃらちゃらと彼女を連れて除夜の鐘ひやかしたり 勢いで賽銭投げてみたり、世の男どもの軟派にもほどがあります! 嘆かわしい!しゃきっとせんかぁい!!! だいたいあれですよ。 除夜の鐘とか初詣なんて 夜通し女の子を連れまわす口実ですよ口実。 いけませんね。不純です。むしろ不埒です。 そんな煩悩まみれの手で除夜の鐘を突くなと言いたい。 108つの煩悩にむしろ拍車をかけてどうするのかと聞きたい。
そういうわけで、私の年末年始はといえば 一人硬派に『猪木祭り』でした。テレビで。
寂しくない!寂しくなんかないぞぉ!(涙を拭きながら) そういうことではないんだ!(鼻をすすりながら) 硬派かどうかが問題なんだ!(体育座りで) これは男、むしろ漢の美学の問題なのだ!(鏡から目をそむけながら)
……… ちなみに 硬派に『紅白』のほうが語呂はイイのですが やっぱり猪木祭りのほうが硬派です。 和田アキ子とボブ・サップを比べた結果 わずかに紙一重、ボブ・サップのが硬派でした。
でも、あれですよ。 私が除夜の鐘とか初詣に興味を示さないのは なにも一緒に行ってくれる女の子がいないとか そういう小さい問題ではないのです。きっぱり。 むしろ宗教上の理由です。 なぜならこの私 毎年12月25日を過ぎたら、敬虔なクリスチャンになるからです! 26日付で洗礼名をもらいます。 正式には、藤島・セバスチャン・犬司です。 気軽に「セバスちゃん!」とかちゃんづけで呼んでくさい。(間違い) でもね。 12月25日までは浄土真宗だったから 除夜の鐘くらいはついてもイイかなとか思ったんですけど ま、こういうものはね。厳格にしないとね。 なんせ信教の自由ですからね。 というわけで残念なことに同じく宗教上の理由から クリスマスも断念せざるを得なかったわけですね。 クリスマスを私と共に過ごしたいと思われた ごくわずかのやけっぱちな方々には 大変申し訳なく思っております。 えぇそうでした。今目が覚めました。 そのようなやけっぱちな方ですら、皆無でした。
というわけで。 新年そうそうだいぶ景気の悪い話しで盛り下がりましたが 本年も、この「まだ終わらんよ」 できる限り終わらずに精進していく所存でございますので 変わらぬご愛顧、よろしくお願い申し上げます。
ではでは。 撤収。
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