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ついに、甥っ子が産まれました。
私の兄の子供です。名前は『悠太』。 悠然と、そしてふてぶてしく生きていってほしい… そんな願いが込められているのでしょう。 天下一品の図々しさを誇る、兄貴らしい命名です。 将来は兄の血を受け継いで ふてぶてしく小憎らしい大人になるかもしれませんが 今はまだ、とってもかわいい赤ん坊です。 もう、無茶苦茶かわいい♪ ちっちゃな両手をぎゅっと握り締めて すやすや眠っている姿は もう、ありえないくらいかわいいです。 当然、今現在私のPCの壁紙は『悠太君どアップ写真』です。 うっとり眺めては幸せな気分にひたる毎日を過ごしております。
ぜひぜひ皆様とも、この幸せを分かちあうべく とっても愛らしい悠太君の顔写真を掲載したいのですが 『自分の人生の始まりが、まだ終わらんよデビューだった』 という事実は、産まれたてほやほやの悠太君には 少しばかり重すぎると思うので、自重いたします。 物心つくようになって、この事実を知った悠太君が 『産まれてはじめて肉親(私)に対して殺意を抱く』というのは 青少年の健全育成にとって、すこしばかりよろしくないからです。
そこで 今日は我が甥、悠太君に、叔父からのメッセージを記すことで 誠に勝手ながら、コラムの更新にかえさせていただきたいと思います。
悠太君へ…
君の父親はあんな男だが、あまり気にするな。 君に選択肢はなかったのだ。君のせいではない。 だから気にするな。 気にすると、きっとハゲる。 君の父親は、あれでも根は善良な男なのだ。 『根は善良』というと つまり『枝葉は善良ではない』という意味なのだが そういう細かいことも気にするな。ハゲる。 根は善良なんだから、とりあえずそれで良しとしようじゃないか。 人間だれしも、欠点の一つや二つはあるのだ。 例えば君にだって、すでに『父親』という欠点がある。弱点でもいい。 欠点の一つや二つには目をつぶろう。 そういうおおらかさを持って欲しい。 君の父親だって 『弟が犬司』という欠点を引きずりながらも 今日までなんとか持ちこたえてきたのだ。 欠点の一つや二つ、意外となんとかなるものさ。
だから父親の顔をみて、そんなに大声で泣くんじゃない。
君の叔父はこんな男だが、あまり気にするな。 君にも私にも選択肢はなかったのだ。 だから気にするな。 気にすると、胃腸に悪い。特に私の。 きみの叔父は、これでもいいヤツっぽい。 『いいヤツっぽい』というと いいヤツではない可能性も捨てきれないという意味だが そういう細かいことも、気にするな。胃腸に悪い。(←私の) 人間誰しも、長所の一つや二つはあるものだ。 例えば君にだって 『小さい頃はかわいかった』 と、しみじみ褒められるときがくるだろう。 私にだって 『半年に一度くらいは面白いこと書くよね。』 と、しみじみ慰められるときがあるのだ。 お互いの長所を素直に認め合えば 君と私は、ずっとずっとうまくやっていけるだろう。
だから叔父の顔を見て、そんなに大声で泣くんじゃない。
だいたい君の人生は、まだまだ始まったばかりぢゃないか。 だからそんな苦悶の表情を浮かべて泣くんじゃない。 一体、何がつらいのだ。何が苦しいのだ。 所詮は『おなかが減った』、『眠い』、『オムツが汚れた』 その程度の悩みしかないはずじゃないか。 そんなの、まだまだ悩みとはよべない。 君の、その純粋無垢な悩みは いずれ大人になつにつれ 『おなかが出てきた』、『眠れない』、『オツムが壊れた』 という、より高尚な悩みへと変わっていくだろう。 だが、今はまだ、早い。 産まれたての今の時期は、眠ることこそが、君の仕事だ。 悩んでいる場合じゃない。 健やかに、すやすやと眠るがいい。 「眠い、眠い」と泣きじゃくり 泣き疲れてようやく眠るくらいなら、今すぐ寝ろ。(夜泣きは不許可) そういう素直さが大事だ。
しかし、君のその寝相の悪さは それは叔父譲りだ。 どういう経緯で私の寝相の悪さが君に譲渡されたのかは分からない。 そもそも私は、譲った覚えすらないのだ。 それでも君の寝相の悪さは、間違いなく私譲りだ。 はじめて君を見たとき 君は眠りながら、3回、空中にコブシを突き出した。 見事な寝相だ。 眠りながらアレだけのパンチを打てるのは 私の知る限り、ミッキー・ロークと君くらいだ。 自分のパンチにびっくりして 目を覚まして泣き出したのは、いっそあっぱれだと言いたい。 ちなみに、君の叔父である私は 寝ている間に、壁にめり込むほどのパンチを繰り出して 拳から大流血しながらも 表情一つ変えずに朝まで眠りつづけたものだ。 いずれ君も、それくらいの逞しさを身につけるだろう。 今はただ、安らかに、そして猛々しく眠れ。 (ただし、壁には気をつけろ。意外と固い。)
さて悠太君。 君の人生について語ろう。 君には、無限の可能性がある。 10年もすれば、そのうちの65%くらいは不可能になるのだが 今のところ、まだ無限の可能性がある。大丈夫だ。 例えば、君がピアノの音色に反応して手を叩いたとしよう。 するとたちまち君の両親は 『ショパンの再来』という可能性に夢を膨らませるのだ。 (その夢がしぼむのに5年とかからない。) 手拍子一つでショパンになれるのは、今の時期だけだ。 無限の可能性を大いに楽しむがいい。 しかし、何事もほどほどでなくてはならない。 例えば、いきなり立ちあがって東の空を指差しながら 『天上天下唯我独尊』とか言い出そうものなら 脳の精密検査を受けさせられるのが関の山だ。 その若さで、脳の精密検査はまだ早い。 この私ですら、まだ受けてないのだ。 とにかく、何事もやりすぎはよくない。 ほどほど、というのが肝心だ。
君には、無限とも思える時間が残されている。 例えば、産まれてまだ2日とたたない君にとって 「あと3日の命」と宣告されても 「あと3日もあるのかよ!」と思えるに違いない。 まして「あと3ヶ月の命です。」などと宣告された日には 「そんなに長く生きる自信はありません。」と答えるだろう。 しかし、心配する必要はない。 人生は長いようで、意外と短いのだ。 例えば私など、すでに29年も生きているのだが 我が人生を振り返ってみれば、あっという間だった。 おそらく、良く覚えていない過去と 思い出したくもない過去がたくさんあるからだろう。 覚えているのはほんのわずかだ。 だから私の29年間は、振りかえってみれば10年くらいしかない。 70歳でボケてしまったおじいちゃんにいたっては 69年間分の記憶がほとんどないだろう。 毎日が産まれたてほやほやだ。
さぁ。 無限の可能性と、無限の時間をもって 人生の第一歩を踏み出すがいい。 勇気をもって、その一歩を踏み出すがいい。 なにものも恐れるな。くじけるな。 怖いものなどなにもないのだ。 誰しもが、無限の可能性と無限の時間をもって その一歩を踏み出すのだから。 そしていつしか、『無限』が『有限』になり ついには『残りわずか』に変わるあたりで 無難なセンで折り合いつけるのが、人生というものだ。 それほど難しいことじゃない。大丈夫。 誰しもが、『無難なセン』で折り合いをつけてきたのだ。 『無難な』という言葉の解釈に 若干の個人差があるに過ぎないのだ。
だから、胸を張って言おう。 私は、無難に、いい人生を送っている。
…と、思う。(←無難な表現。笑)
ではでは、最後は相変わらず あっさりとオチ弱く撤収。(←無難です)
悠太君の人生に、幸あれ。
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